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JEWEL

JEWEL

泡沫の恋の果て 第1話

美しい雪が降り積もる姑蘇の雪原に、一人の少年が佇んでいた。
彼は、涙を流しながら母を想った。
“藍湛、こちらにいらっしゃい。”
母は、息絶える前に藍湛と藍渙―二人の息子達を寝室へ呼んだ。
“わたしはもう、あなた達と一緒に生きられないの、だから・・”
『嫌だ、母様!』
“ごめんね・・”
藍湛を抱き締めながら、母は涙を流していた。
その後、母は静かに息を引き取った。
「忘機、何か食べないといけないよ。」
「何も食べたくありません。」
母を亡くした後、藍湛は寝食を忘れて城の前で母が帰って来るのを待った。
もう母が、自分を抱き締めてくれないという事を解っていても、藍湛は来る日も来る日も母を待ち続けた。
「忘機・・」
「兄上、母上は・・」
「もう帰ろう。」
「はい・・」
母を待ち続けて七日目の夜、藍湛は熱を出した。
「まだ忘機は六歳だ。母を恋しがるのは当然だ。」
「叔父上・・」
「藍渙、お前が兄として弟を導くのだぞ。」
「はい・・」
姑蘇国は、一年の大半を雪と氷で覆われた国で、人々は短い夏と春の訪れを楽しみにしていた。
母を亡くしてから、藍湛は勉学や剣術に精を出すようになった。
「忘機、少し話がある。」
「はい、兄上。」
「お前も少しは耳にしていると思うが、最近温国の横暴が問題となっている。」
「はい、存じ上げております。」
「そこで、来週金鱗台で温国討伐について話し合う事になっている。」
「わかりました。」
「忘機、お前の“発作”は、最近どうなのだ?」
「少し・・良くなっている気はします。」
「そうか。」
藍湛は、ある“秘密”を抱えていた。
それは、自分だけが氷を自由自在に操れる事だった。
 だが、その力は本人の意思とは関係なく出てしまう為、藍啓仁は甥の将来を心配し、力を制御する為に藍湛の額に抹額を巻いた。
「叔父上、何故わたしだけ・・」
「気に病む事はない。この抹額を取って良いのは両親と伴侶のみ。その他の者は触る事すら出来ぬ。」
「そうですか・・」
抹額を頭に巻いてから、藍湛は力を自然と制御できるようになった。
一方、雲夢国の王都・蓮花塢では、年に一度行われる“蓮祭り”で賑わっていた。
「阿羨、何処なの!?」
「師姉、ここだよ!」
「もう、またあなたそんな所に登って!早くおりていらっしゃい!」
「わかったよ!」
赤い髪紐を揺らしながら、魏無羨は勢いよく木の上から降りた。
「ねぇ、聞いたかい?」
「あぁ、温家の奴らが・・」
「あいつら、好き勝手な事をしやがって・・」
「一体、あいつらは何処まで横暴の限りを尽くすつもりなんだ?」
「まぁ、姑蘇国と蘭陵国、それに清河国が力を合わせりゃ、温国なんて一発でやっつけてくれるだろうさ!」
「そうだねぇ。」
「師姉、どうしたんだ?またあの孔雀野郎に泣かされたのか?」
「いいえ、少しボーっとしてしまっただけ。さ、行きましょう。」
「うん!」
まだ、この頃魏嬰は知らなかった・・己が苛酷な運命の渦に巻き込まれてしまう事を。
「そんな、許しておけばいいではありませんか!何故、あの者は・・」
「落ち着きなさい。」
「お母様、一体どうなさったの?」
「厭離、申し訳ないけれど、あなたと金子軒との婚礼は一年延期になるわ。」
「まぁ、それはどうして・・」
「何でも、うちの従者達と彼の従者達が取っ組み合いの喧嘩をしたのです。それで、金夫人と話し合った結果、あなた達二人の婚礼を延期する事になったの。」
「喧嘩の原因は?」
「それが・・」
「また孔雀野郎が従者に師姉の陰口を吹き込んだんだろう?」
「魏嬰、あなたは少し黙っていなさい!」
虞夫人はそう言って魏嬰を睨みつけた。
睨まれた彼は、そそくさとその場から立ち去った。
(あの孔雀野郎、師姉の何処が気に入らないんだ?そりゃ、あいつの周りに居る女達に比べたら、師姉は華がないけれど、気立てが良い娘の方が華があるだけの娘よりいいと思うぞ?)
そんな事を思いながら魏嬰が王宮の中を歩いていると、突然向こうから犬の鳴き声が聞こえて来た。
「ぎゃぁぁ~!」
魏嬰は、養父・江楓眠に拾われる前、孤児として幾度も野良犬に殺されかけた記憶があるので、犬は大の苦手だった。
「こら、来るなって!」
「うるさいぞ、勉強に集中できないじゃないか!」
「江澄、犬をどうにかしてくれ!」
「全く、犬一匹すら追い払えないのか!」
江澄はそう言って舌打ちしながらも、魏嬰に吠えていた野良犬を追い払った。
「江澄、魏嬰、来なさい!」
「はい、母上。」
 虞夫人に呼び出され、二人は彼女の自室へと向かった。
「二人共、良くお聞きなさい。明日、あなた達は金鱗台に行って貰います。」
「確か、そこでは温国討伐について話し合われるとか・・」
「そうよ。二人には、雲夢国を代表して出席して欲しいの。その日、わたし達にはそれぞれ用事があるから、頼むわね。」
「はい、母上。」
こうして、江澄と魏嬰は雲夢国代表として金鱗台へ向かう事になった。
「二人共、気を付けてね。」
「師姉、あの孔雀野郎に会ったら思い切り殴ってやるよ!」
「もう、阿羨ったら!」
翌朝早く、江澄と魏嬰は蓮花塢を発ち、一路金鱗台へと向かった。
「なぁ、ひと休みしていかないか?」
「そうだな。」
途中二人が水浴びの為に立ち寄った泉は、夏だというのに水面は一面氷で覆われていた。
「一体どうなっているんだ!?」
「さぁな・・」
魏嬰はそう言うと、氷で覆われている泉の向こうに、一人の少年が立っている事に気づいた。
「江澄、あれ・・」
「何だ?」
「ほら、泉の向こうに居る・・」
「誰も居ないぞ?」
「いや、だってそこに・・」
魏嬰がそう言って少年が立っていた方を指すと、そこには誰も居なかった。
「気の所為か?」
「疲れているんだろう。さぁ、早く宿屋へ行こう。」
「あぁ。」

(良かった・・わたしが“力”を使う所は誰にも見られていない。)

同じ頃、藍湛は泉を一瞬にして凍らせてしまった事に気づき、急いでその場から離れた。

「忘機、遅かったね。」
「申し訳ありません、兄上。また・・」
「大丈夫だ。」
「はい・・」
「それにしても、先程金光瑤殿に会ったよ。皆、温国討伐に乗り気らしいね。」
「そうですか。兄上、わたしは泉を一瞬にして凍らせてしまいました。」
「後でわたしの部屋に来なさい。今後の事を色々と話そう。」
「はい。」
金鱗台の近くにある宿屋で魏嬰と江澄は、久しぶりに風呂に入った。
「あ~、生き返る!」
「静かに入れ。」
「それにしても、隣の部屋の奴はこんな時間まで寝ているのか?何だか妙に静か過ぎないか?」
「そんな事、気にするな。明日は早いから、もう寝るぞ。」
「お前は先に寝ていろ。俺は隣の部屋の様子を見て来る。」
魏嬰はそう言うと、隣室の様子を見に行った。
「忘機“力”は制御できないのかい?」
「はい・・」
「ならば、この抹額を絶対に外してはならない。これは、お前の“力”を封じるものだからね。」
「しかし兄上、この抹額を巻いても“力”が・・」
藍湛がそう言った時、彼は窓の方に人の気配がする事に気づいた。
「何者だ!」
「ぎゃっ!」
藍湛が窓に向かって冷気を放つと、そこから短い悲鳴が聞こえた後、一人の少年が部屋の中に飛び込んで来た。
「痛てぇ、いきなり“力”を放つ事は無いだろう!もう少しで落ちて死ぬ所だったぞ!」
そう叫んだ少年は、黒髪を振り乱しながら、藍湛を睨みつけた。
「何者だ?貴様、すぐに答えないと、この剣で八つ裂きに・・」
「わかった、わかったから剣を下ろしてくれ!俺は魏無羨、金鱗台には雲夢代表として来たんだ!」
「そうか。」
「忘機、剣を下ろしなさい。弟が無礼な事をしてしまって済まない。わたしは藍曦臣、姑蘇藍国の代表として、金鱗台へ来た。」
「そうですか。こちらこそ、突然の無礼をお許しください。」
「また、会おう。あぁ、手を出してくれないかい?」
「は、はい・・」
魏嬰が恐る恐る掌を曦臣に差し出すと、彼は菓子が入った袋をそこに載せた。
「連れの者と一緒に食べなさい。」
「はい。ありがとうございます!」

これが、魏嬰と藍兄弟との出会いだった。


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